青木繁書簡 明治35年6月25日付 梅野満雄宛

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   六月二十五日 久留米市

   東京小石川區小日向武島町十番地 原方梅︀野滿雄樣

 あつさやう相催申候

 小子幸に無事に御座候 先日より種々御骨折を忝ふし拜謝申候

 貴兄唯今御多忙と察上申候 彌七月も近づき申候事とてお江戶の風物もいよく時めき候事と

存候

 小包󠄁到着以來其處こゝ 旅︀行罷在候へども先々般より取りよせの油繪具尙未だ到着不致困厄の有

樣に候

 宿所󠄁之方之事一一拜承知致候 實は早速󠄁種々御盡力をお願申上度存居候處少々都︀合も有之不及

其儀延引候

 小子いよ今二月餘滯在ノ筈に相成候へば宿所󠄁の方は引拂に致度御足勞千萬之事に存候へど

も至急󠄁何卒御はからひ被成下度候 之の道具は引まとめ何へとも御處置御依賴中上候、尙宿食其

他宿所󠄁への仕拂は先方へ金十圓丈爲換にて差送󠄁有之候へば夫れにて御計算を被下度 尙金四圓丈

は小生出立之砌仕拂置候故其中より去月一ケ月分部屋料金は先方の言ふまゝ取らせ被下度願上候

 尙其剩餘金は貴兄御受取被下何かの入費に御あて被下度候

 何かと御盡力を被下候段は御面語の上御禮可申上候

 尼さんの繪云々其他は其儘差置なし被下度出京之上處置致すべく候 尙宿所󠄁へは宜しく御鶴聲

を被下度候

 方今寸暇なき有樣濟々舍當りへ無沙汰罷在候へば若し御出かけもや御座候はゞ大方へよろしく

御鶴聲願上候

 處々美術會內部よりは多々屢々之申越有之候 一一承知致居候が中々面白き有樣に候樣に候

 繪具其他の準備不足の爲め種々好題を逸︀し候事いくらか有之殘念と思居候

 麥刈り込󠄁は夢の樣にすみて三沼の邊り田植旣に濟み候 八女の製茶も相濟み申候趣申越し候

 七月來七月來處々より七月の聲ばかり來信候

 尊󠄁兄之帶之車は七輔通󠄁帳は不同舍の高村と申人只今持ち居り候故富岡君に別紙書面を御ことづ

け御受取被下度 尙不用になれば右高村へ御返󠄁し被下度願上候

 實は右に付何とか都︀合可致存居候へども一寸都︀合參り兼󠄁ね候故乍憚尊󠄁兄に於て何と可御繰合被

成下度懇望候 七輔は駒込󠄁東片町にて左地圖之通󠄁り不同舍の裏側に相當り申候


 餘は面唔の時を樂しみ申候

 頃日下川君上京候

 丸野も歸國可致申越居候が種々の事情󠄁もありて歸

國致すや否やは不分有樣に候

 先は用事のみに候 尙此紙面は可笑程妙な事ばか

り羅列候へば御覽の上火に燒き捨てなされ

    二十五日

 尙富岡氏へよろしく御鳳聲被下度 時々御消󠄁息にあやからば幸甚と存居候旨貴君より再白

 早速󠄁何かスケッチ畫を御送󠄁り申上度存候へども先日より旅︀行ばかり致居候て其意をはたさず候

箕尾の夕暮の面白さに出來かけを送󠄁り候

 額椽を得たいと存居候

 御歸國の際にはワットマン紙を二三枚御もち歸り被下間敷哉

 神︀田文󠄁房堂にあり、以前󠄁大學向側の松屋にありしはスぺスぺする紙質にてよろしからず

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