Page:Insect Literature by Lafcadio Hearn.djvu/47

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その心中に餘りに生き々々と殘つて居たので、人間のやうな行爲が出来なかつたといふことである。.........最後に自分は種々な蝶をば或る皇帝とその從者との靈魂だと認めた或る支那の公認の原文を知りたいものだと思ふ。

蝴蝶に關する日本文學の大半は、僅かの詩歌を除いて、支那起源のものであるらしい。日本の藝術や歌や習慣にあんなに愉快に表現されて居る、此題目に就いての、あの古い國民的審美感念すらも、初めは支那の敎の下(もと)に啓發されたものかも知れぬ。日本の詩人及び畫工が、そのゲイミヤウ即ち職業上の稱呼に、テフム(蝶夢)イツテフ(一蝶)といふやうな名をあんなに屢々選んだのは、支那に先例があつたからだというので說明が出来る。そして今日でも、テフハナ(蝶花)、テフキチ(蝶吉)、テフノスケ(蝶之助)といふやうな藝名のほかに、そんな種類の實際の名(ヨビナ)———「蝴蝶」といふ意味のコテフ或はテフといふやうな———が今猶ほ用ひられて居る。そんな名は、概して、女だけが有つて居る、———尤も珍しい例外はあるが。.........そして此處へ書いてもよからうと思ふが、陸奧の國では、一家の末娘をテコナと呼ぶ珍奇な古い習慣が今猶ほ存在して居る。この他では廢語